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zoom RSS 水木しげる80年代!

<<   作成日時 : 2015/12/23 21:14   >>

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水木しげるが死んで僕はふぬけになったままではあるが、色々整理してると変な思い出がいっぱいあったりするので勝手に書きなぐってみます。

★田舎にも水木ブームが来たる???
僕が中学生の頃(80年代中期)、全国的に何度目かの鬼太郎と妖怪ブームが起こり、コミックボンボンや少年マガジンなど講談社のマンガ雑誌に「ゲゲゲの鬼太郎」のリバイバル作品が掲載されるようになった。ひねくれもののクソガキの僕は、昔の劇画をやたら持っていた親友のMOSさんの影響(お母さんがマンガ狂であった)で、ボンボン版の鬼太郎はすでに水木本人の絵じゃないのでハマらず、マガジン版の鬼太郎に至っては「妖怪ラーメン」の回あたりから辰巳ヨシヒロが描いてるのではないか?という疑問を抱き始めた。その回の載ったマガジンは多分実家にまだ置いてある。
それ以前、つまり小学校の頃は、水木しげる再ブームの予兆すらなく、少年たちはキン肉マンやガンダム等に夢中であった(のかな?)。
5年生の頃、僕は鬼太郎のアニメ(第二期)の再放送を毎日見ていた。当時はビデオデッキもない貧乏家庭だったので数話をテープに録音して何度も聴いていた。やがて調子に乗った僕は鬼太郎っぽい妖怪マンガをメモ帳ほどの大きさのノートに書きまくり、人生初の二巻分を上梓、いっちょまえにカバーも作って値段も書いてまるで単行本のようにノートにかぶせていた。しかし、ある日、学校から帰ったらおかんに全部捨てられていた。
その後、宇和島の本屋で偶然発見した「テレビくん」(双葉社版)を買ってそれがバイブルとなっていた。なので水木マンガにはまったのは鬼太郎よりも先にガロ掲載等の風刺マンガである。
その後、朝日ソノラマのサンコミック版鬼太郎が再販されたが、地元の本屋にはまったく置いておらず、買うとなれば大都会松山まで足を運ばねばならなかった。最初にサンコミ版を発見したのは松山の明屋(はるや)書店二階だった。親しくさせていただいていた知合いのおじさん夫妻に連れてってもらい、そこで飛び飛びでしか置いてなかった3、7、9、12というありったけの巻数を買っていただいた。本気で熱中し読みまくっていたが、12巻は「鬼太郎夜話」の後編なので、僕は夜話だけ後編から読んでいる。つまりナンダカ族編や、偽鬼太郎も改心して坊主頭で登場していたのだ。これはこれで面白かったので、その後、修学旅行で松山を訪れた際に、今度は伊予鉄そごうの本売り場で、もうすでにギリギリしか残ってない所持金で、夜話前編の11巻と、当時流行っていたジャッキー・チェンのフィルムコミック「クレージーモンキー笑拳」を買った。一緒に回っていた大介は「大甲子園」1、2巻を買っていた。画像
さてその後、小学校卒業後の春休み、大阪の親戚の家に遊びに来てた時、近所の本屋でこれまた朝日ソノラマの「猫又」「日本奇人伝」(共に再販)を買いアダルトな水木マンガにも遭遇することになるのだが、中学に進級し、「日本奇人伝」を学校で読んでいたら、前の席のラッサンが見せてというので貸したら大笑いし始めた。何を見てるのか覗き込んだら、どうやらラッサンは「約束」というマンガの山本君というキャラのめしの食い方に爆笑している。「なんなんど、この食い芸は!」と、ラッサン、水木独特の物の食いっぷり表現に見事にハマっていたのだった→
やがて中一の夏にはサンワイドコミックスが刊行され「河童の三平」「悪魔くん」が気軽に読めるようになり、その頃にはサンコミックス版の鬼太郎も全12巻揃っていた。確か一番最後に入手したのが第1巻であった。                         
一方、MOSはつげ義春の影響もあって、15歳で名作「ある夏の出来事」を三日ほどで書き上げた。大学ノートに書かれた一編は、その後10年以上経って僕が文字を写植し、月刊タルワキ創刊号に掲載されることになるのだが、15歳当時の彼の作品には、つげと水木のキャラが出るかと思えば初期の手塚治虫キャラが主人公だったりと、昭和の王道マンガをミックスさせて、彼なりのオリジナル作品に仕上げていたのは見事だ。ところが、MOSの天然でおもろいところは、「ある夏の出来事」が描かれたノートの表紙にはペンで【夏はいいものですね】と書かれてあり、これは、単にタイトルを勘違いして書いてしまったとのこと。「夏はいいものですね」とはつげ義春の「ねじ式」の少年のセリフである。


★水木が地元に現れたが‥
そのうち前述した鬼太郎第三ブームが起こり、新作アニメに幻滅した僕はだいぶしらけてしまい、一時水木マイブームもお休みし、ちょっと大人びたつげ義春や、宝島に載っていたようなヘタウママンガに行ってしまった(このへんの話は「中年劇画」に書いている)

やがて高校時代、水木しげると握手したという奴と一緒のクラスになった。なんでも僕らが6年生ぐらいの頃に、NHKの松山放送局制作の番組に水木しげるが隣町の一本松小学校で講演するというドキュメントがあり、その講演を聴いた奴が高校に数名いたのだ。確かにその番組は見たことがあり、これまたテープに保存していた(ちなみにこの話は来春発行の「実験アキレス」に書いてます)。でもって僕はその子と二年間一緒のクラスで仲良しだったにも関わらず、実は講演会場にいた事実を知ったのは、クラスも変わった3年生になってからであった。そしてなぜかこの頃、一時的に休んでいた水木ブームが友達間で再熱している。その元になったのが、我が家にもビデオデッキが置かれ、しかも友達のビデオデッキを借りてダビングの味を覚えた僕は、第二期のアニメを借りて傑作選を作ったら同級の奴らにこれが大好評だったのだ。みんな鬼太郎好きなんだな〜と改めて思った。それが縁で「そういえば‥」的に水木の講演の話が持ち上がったのだった。ちなみにこのアニメ鬼太郎と同時期に僕がハマったのはどこから回って来たかこれも同級生がコレクションしていた「仁義なき戦い」シリーズであった。考えてみるとこの頃から自分の生きるべき道が決まっていたような気がする。


☆幻過ぎる【鬼太郎夜話】映画化の話!?
20年ほど前の話だが、自主映画で『鬼太郎夜話』を作ろうとしたことがあった。勿論そんな大胆な話を現実化する余裕もなくすぐ頓挫し、オリジナルの『五郎と夜と音楽と』に関わることになったのだが、それが終わってからも僕自身は水木作品の映画化を企てていた。しかし、鬼太郎物は特撮を要求することもあり、かといって月曜ドラマランド版の鬼太郎みたいなのは絶対無理(あれはあれでちゃんとDVD保存してるほど好きなのだが)なので、特撮も要らない隠れた名作「国際ギャング団」とか漫画家以前の話をやろうとも思い、本気で水木プロに許可を貰おうともしたがそんなものうまくいくわけもなく、それが巡り巡って結局『劇画家殺し!』に落ち着いた(?)ようなものだ。水木しげると竹内寛行ダブルで演じたモへイさんも水木死去のニュースはショックだったそうだ。『劇画家殺しの逆襲!』で水木の友人桜井を演じた中沢健さんも、好きすぎて調布に住むほどガチの水木ファンなので色々と思いがあるだろう。
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