おーい志村、死んでんじゃないよ!

志村がナニしたのよ?
志村けんが死んだ。でもまだ実感がない。日本国民全員がそうであったように、自分も志村がいつか復帰するものだと思っていた。
報道があった当日は、朝出かけ、またそういう日に限って携帯電話を持って出てなくて、多分速報が出てからすぐ数人からのメールや着信やらあったのだが、帰宅した17時頃まで気がつかなかったのだ。しかも、帰りがけに入ったコンビニで、夕刊フジや大スポの「志村死去」などの見出しを見ても、またまた大スポがそんなええ加減なこと書いて~っと勝手にデマ記事と思っていた。ほいで帰ってメール見てテレビ見てやっとそれが事実であると知ったのに、まだ信じられなかった。なんせ前の日までどっぷりドリフのコントを見ていたもんで。

「全米が泣いた」とかいうありがちなキャッチコピーの映画なんかよりこの報道の方がずっと泣けるわ。昔「志村けんのオレがナニしたのよ」っていう番組があったけどまさにそのまんまの感情で天国に行ったんじゃないかよ。
毎晩酒飲んでタバコ吸っておねえちゃんと遊んで、肺やられてウイルスに感染して看取られることなくある意味孤独死した志村って‥昭和の芸人じゃないか!これじゃ浮かばれない。おばけになって出てくるわ、「こんばんは~」って。
ベタな表現ではあるが、子供からお年寄りまで、そして動物にまで愛され、僕らの日常に当たり前のように笑いをお届けしていた日本を代表するコメディアンが実にあっけなく死んだもんで、日常がもう狂い始めている。いまだその死が信じられないと同時に、じわじわとおとずれる喪失感と絶望感、そしてとんでもない淋しさに耐えながら毎日過ごしている。志村ほんとに死んだのか? 物心ついた頃からスターだった志村。
物心ついた子供たちが一番最初に名前(特に名字)を呼び捨てにした大人、それが志村けんだった。

それでもやっぱり志村は笑って見たい。追悼番組でブーさんが言った通り「志村は死なないの」だ。
改めて志村けんの何が面白かったのかをちょっとだけ拾って考えてみた。といっても僕自身が『8時だョ!全員集合』をリアルタイムで見たことない(生まれた土地で放送されてなかった)ダメ人間なもんで、ほぼ『ドリフ大爆笑』『だいじょうぶだあ』にしぼられますが、一つご了承ください。


志村コントの定番
◯受け口の芸者
志村は女装して芸者役を演じる際、顔は必ず受け口である。『大爆笑77』でのキャンディーズの芸者遊びのコントでは「村山奴」という源氏名で登場し、いかりや扮するおかみに「受け口がかわいいでしょ」と紹介されていたが、ハゲのオヤジに扮したキャンディーズからは大不評で「余計ハゲるわ」と文句云われ、村山奴は受け口で嘆いていた。
この芸者にはモデルがいて、神楽坂で実在した芸者らしい。『だいじょうぶだあ』などで登場する志村と、盟友・柄本明と見せる芸者コントでは、お姐さん方は、顔にどれらいインパクトがあった。柄本の芸者は、志村の受け口に対し、長介よりも顔が長かった。また、志村の場合、受け口でない芸者のコントは、たいがい死にかけの芸者という宿命の設定であった。

◯年寄りは勝てない
『大爆笑』で、長介、ブー、工事の三人じいさんのコントがレギュラー化していた時期があったが、結局志村一人のじじいのコントにはかなわなかった。なんせ三人じいさんは今ひとつメリハリも内容も無く、見た目だけで終わってしまうのに対し、志村のじいさんは、点滴ぶら下げに始まり、ボケから中風からほぼ死にかけから、やたら陽気だったり精力絶倫だったりそのわりには耳が遠いなどなど、とにかく引き出しが多かったもんだ。
神様のコントやひとみばあさんにしろキャラのおかしさは勿論のこと、「あに?」「あんだって」といった「な」を「あ」に発音する志村独特の東村山語が特徴でもあった。
加藤茶のじじいとの囲碁対決のコントや診察室のコントなど、二人のじじいのボケとツッコミ対決なんか、結局どっちかが死なんことには終わらないくらいボケ倒し、これがまた面白いもんで永遠に見れるのではないかと思うほどクセになってしまう。日常においてネタにするとちょっと問題ありそうなボケ老人という分野に笑いを与えたパイオニアが志村なのである。多分、日本初の憑依芸人も志村けんなのであろう。

◯設定からしておかしい
『大爆笑』「もしものコーナー」の「もしもこんな弔問客がいたら」にて登場する志村扮する弔問の訪れたじいさんは、友人の遺影を前に酒を飲みながら「お前の好きなあれやってやるぞ」と云うとほっかむりと鼻の穴にマッチ棒立てて安来節に合わせて腰振って踊りまくったあげく、遺族役の由紀さおりに「うちの父はそんな趣味はなかった」と云われ、遺影を見直し「誰これ?」と素に戻り、結局人違いだったと気づくと、何事も無かったかのように仏壇に積まれた香典だけ持って去ろうとして、長介につっこまれ「だめだこりゃ」とオチるまでとにかく目が離せなかった。もしものコーナーの「陰」の志村の代表作「もしも元気のない芸者がいたら」と並ぶ「陽」の志村としての傑作であった。このコントの何がおかしいって、志村の破天荒なキャラもさることながら、友人が死んだと聞いて、あいつが好きだったあの踊りを見せてやろうと、香典持ってこないでマッチ棒二本持ってきたという設定がすごすぎる。
志村の十八番であるひとみ婆さんなんかその代表みたいなもんで、キャディーさんやバスガイドに扮してひとみさんがフハフハやって大騒ぎして周りを巻き込んでいくのだが、よく考えるとこのおばあさん、よくキャディーの面接受かったなと思うし、この人に仕事を任せようとした社長は太っ腹だ、とか考えるともう面白い。志村のコントはキャラが際立ってそっちに目がいきがちだが、細かい設定を分析してみるともっともっと楽しめるのである。まあ、そんなこと気にせんでも充分楽しいし、なんであんなおばあさんがバスガイドやってるんですか? と質問しても「別に意味はねえだよ」の世界ですよ。

◯ボケもツッコミもトップクラス
キャラやギャグが目立ってしまう志村だが、コントにおいてはボケもツッコミもできる天才であった。ボケに関しては前述したように老人や異常な人間など徹底してボケを演じていたが、ツッコミに回る場合は相当高速でツッコんでくるのでボケの加トちゃんは油断できないぞ。怒りながら顔面叩くというアクションツッコミも志村の真骨頂であった。
バカ殿におけるボケツッコミの入れ替わりも秀逸だ。最初は腰元に対し「風呂を沸かせ」「布団を引け」「鞭と浣腸を用意しろ」など家老相手に散々ボケまくった挙げ句、由紀さおりの年齢詐称にだけは相当厳しく、狂気すら感じる尺八SEツッコミも志村の発明と云える。その際「てめえ15の女がママさんバレーやるか」「15の女がゲートボールやるか」など、当時そこまでの年じゃない(志村とは二つしか変わらない)由紀さおりによくあれだけのぶちゃむくれが通じたもんだと感心すらしてしまう。でも僕らはガキの頃、毎月由紀さおりの勝負を待っていた。そしてその勝負に対するバカ殿のキレる瞬間も同じく待っていたもんだ。また、「てめえそれで視聴率が取れると思ってるのか?」など、ガキの僕らに「視聴率」「出演料」「事務所」といったテレビ業界の裏話をギャグに取り入れ、それ系の用語を教えてくれたのも志村であった。

◯こまどり姉妹とズッコケちゃん
志村は音楽の要素をコントに入れてるものも多く、ソウルは勿論のこと、吉幾三の「雪国」やちあきなおみの「夜へ急ぐ人」など演歌や歌謡曲、フォークソングまで幅広いのは云うまでもないが、特にマニアックな曲と云えば、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『だいじょうぶだあ』のコントで志村が好んで使っていた「♪おねえさんのつまびく三味線に~‥」というこまどり姉妹の「三味線姉妹」という曲である。この曲に志村独特の変な振り付けで踊り、しかも毎度45回転(早回し)でかけられているのが特徴だった。また、志村は加入前のドリフのシングル「ズッコケちゃん」も大好きで、『だいじょうぶだあ』のDJコントや『加トケン』での拾ったレコードを聴くコント、『バカ殿様』では加藤茶がゲストに出たときの出ばやしとして使われていた。この歌が好きというよりは、曲に入る前の「♪ズイーズイーズッコケたで、ズーッコケたでズイ~」と長さんが奇声発してこぶしを回しているフレーズがお気に入りだったのだろう。トークでもよくこの部分だけを拾ってネタにしていた。

◯ゲロは飲む
志村の酔っ払いのコントでは、ゲロを催してもなんとか吐くまいとこらえ、のど元まで上がってきた汚物でさえ必死に飲み込んでしまう。しかしそれでも我慢できず吐いてしまう時は決まって人の鞄の中に吐き、ほいでまたそれを飲んでしまう。修学旅行のコントなどでもバスによってゲロ袋に吐いては飲んでいた。一方、加藤茶の酔っ払いは所構わずすぐ吐いてしまう。この二人の酔っ払いコントの違いを、以前、岡村隆史が「めちゃイケ」で解説していた。

◯グラドルが消える
グラドルにお笑いを伝授したのも志村だ。バカ殿の腰元や深夜のコント番組のレギュラーなどに起用され、一定の合格点をもらい志村ファミリーに加入したグラドルは、その後の食い扶持に困ることはないが、志村の元を離れるとなぜか芸能界ではすっかり見なくなりいつの間にか引退してるってこともよくある現象で業界内での謎の一つだ。勿論ファミリーを抜けても芸能界でご活躍している方もいます。

ダメだ、書き出したらきりがなくなってしまう。
まだまだこんなものでは語り尽くせないのでそのうち『黒のマガジン』志村特集(未定)かどこかで放出したいですね。この手の話は一日中話せるし。

いかりやと志村.jpg

志村に会った日
◯志村登場
20年ほど昔、東京メディアシティ(TMC)に数回おじゃましたことがあった。95年頃から『ドリフ大爆笑』が、お客を入れて収録するようになり、97年、98年と、裏の伝を頼って収録を見学に行かせてもらったのだ。
97年の収録はまだ河田町のフジテレビの旧社屋だったかもしれない。98年はTMCだったと記憶している。
その日、一緒に見学に行く仲間達と指定された時間に集まり、今昔庵にて、当時まだ大学生で、デビュー前の小宮山雄飛(ホフディラン)や、その後「『8時だヨ!全員集合』の作り方」という本を編集したライターの加藤義彦氏らとともにお茶をしていたら、スタジオ前にすんげ~長い車のリムジンが停まったので、おいおい誰が出てくるんだ?と、興味津々に見ていたら、そこから出てきたのはなんと志村けんだった。見ていた全員「志村だ!」と唸った。リムジンでお超しになった成功した芸能人の堂々たるオーラ、いやーびっくりしたですよ。
 その日の収録は、母ちゃんコント、合唱隊、ショートコント、最後は雷様といった『全員集合』の流れを組むプログラムで、なかなか充実した内容だった。緞帳が開く前のまだ客がザワザワ落ち着いてない状態の後、本物のいかりや長介が登場。悲鳴にもとれる大歓声の中、ここでしか見れない長さんの前説があり、その後本番スタートという大変贅沢な収録であった。
 この収録になぜ僕みたいなド素人な輩が参加できたのかというと、どうってことはない。高木ブーさんの知合いのカルト俳優・神戸顕一と僕が知合いだったもんで「収録の見学行く?」と言われりゃそりゃ行くよ、仕事も休んでほいほいとついて行ったのだ。小宮山君や加藤氏も同じく、その伝で前から知っていたので一緒に行ったというわけだ。この見学会でラッキーだったのが、収録前の舞台建築やリハーサルからずっと見れたことである。スタッフとドリフしか集まっていない客席に、一応関係者という枠に括らさせていただいた僕らが座って、テレビには映らない素のドリフがそこにいた。リムジンで登場した志村けんは、僕らがスタジオへ案内された時には、加藤茶や仲本工事、高木ブーらとともに舞台の前の椅子に座って母ちゃんコントで使われる昭和丸出しの日本家屋のセットをチェックしていた。リーダーの長さんはというと、さすがリーダーらしく、舞台に上がってセットの隅々までチェックし、美術スタッフになんやかんや注文をつけていた。その間に、ゲスト出演者が次々とスタジオに挨拶に現れ、ドリフの面々も笑顔で挨拶を交わしていた。志村はゲストの歌手とお喋りしながら、時折、冗談でブーさんの首を絞めたり頭をはたいたりじゃれて周りを笑かせていた。僕は「ブーさんはあの体型だからやっぱり誰からも愛されるな~」とか思いながらその光景を見ていた。舞台では美術班が、セットの屋根裏からドリフコントでおなじみのたらいを落とすタイミングをテストしていた。お、今回もたらい落としが見れるのか、楽しみだな~っとニヤニヤしていたら、突然、今までブーとじゃれていた志村の動きが止まり、目がセットに注がれた。長さんは相変わらず何やら注文している。噂には聞いていたがここまでうるさいのかと思うほどセットに厳しい。志村が動いた。そしてそのまま舞台に上がり、長さんの横に立った。たらいを落とした位置が気に入らなかったのか、志村はセットの裏へ回り、上を向いてたらいを落とすスタッフに何やら言っているようにも見えたが、マイクを持って指示する長さんの声と違い、志村の地声は小さくて何を言ってるのか聴き取れなかった。長さんはセットの家屋の作りが不自然に思ったのか、もうちょっと屋根を下ろして欲しいと要求していたが、志村はどうもたらいを落とす位置にこだわっているように見える。「言ってことが気になるね?」加藤氏が言う。確かに。でもこの位置からでは聴き取れない。志村はその後、今度は長さんのほうへ寄り、何やらぼそっと発言していたが、長さんはマイペースで屋根下ろせと言っている。何言ってるんだろう? 志村と長介の会話が聴けるなんてすごい貴重じゃないか。でも聴こえない。もやもやしてたら舞台前の椅子に座ってその様子を見ていた加トちゃんが「あの二人(長&志村)が仕切って大丈夫か?」と言ったもんで、その場にいたスタッフも僕らも笑ってしまった。業界内でも有名な犬猿の仲と噂されていたあの二人が並んで相談しているのが珍しかったのだろう。僕もこれにはちょっと驚いた。あの二人が並んでセットのチェックをしている。貴重だ。志村は一体何を注文したのだろう? 気になりながら、舞台上の師弟の後ろ姿を見ていると、ふたたび志村がセットの裏へ周り上に向って何やら発信し、その後加トちゃんのいる方へ戻ってきた。その時、志村の仕草でセットに何を注文したかがわかった。志村は、加トちゃんや仲本らに、人差し指を上に向け、両手でエアーでたらいを落とす表現をし、首がガクンとなるジェスチャーをした。すなわち「あの位置からたらいを落とすと首に負担がかかる」と言いたかったのだ。わかりやすい! だからしきりに上に向いて位置を下ろせと言ってたのか。そうか、落とされる本人としちゃコントを続けなきゃいかんのだから、あまり衝撃が強いとその後身が入らないもんな。その後のリハーサルでわかったが、その日、志村だけでもたらいや、やかん、鍋など10個ほどの小道具を落とされるもんで、事前に注意を払って再三のチェックをしなきゃならなかったのだ。いや~さすが事前チェックの鬼志村。スタッフも絶対に気が抜けないので大変だ。
ほんでも笑ったのが、美術リーダーのマイヤ氏(『大爆笑』でたらいを落とす人。長介のコントコーナーでやたらこの名前を連発していた)が、「今日はこいつが長さんにたらいを落とします」と加トケンに新人スタッフらしき男性を紹介すると、志村が「ウエイト置いとけよ」とアドバイスしたことだ。これにはその場のスタッフも大爆笑だったが、志村なりの緊張をほどくためのリップサービスだったのだろう。
そして本番、たらいの位置も完璧のノーミスでコントは終了し、文字通り客席は大爆笑であった。本番中も、僕の横に座った加藤義彦氏は、ライターという職業からか、収録中も暗い客席の中でしきりに何やらメモしていた。
まーしかし、ドリフのコントがこういうふうに作られているということを体感できたことは大変貴重であった。そして、志村けんを始め、憧れのドリフターズと僕を引き合わせてくれた神戸顕一には今もって感謝している。しかしこの人もここ数年は病気になってほぼほぼたかりのアル中に成り果ててしまったのは悲しい事実だ。志村の訃報の日も彼から電話があったが、やけ酒食らってもうベロベロであった。いやほんと体だけは大事にして欲しいと思うが性格変えなきゃダメだありゃ。またいつかドリフの話を書こう。



★★2020年5月5日、シアターセブンにて鉄ドン三部作上映決定!コロナに負けてなかったら開催します!!★

カニトラファイトもヨロシクね。


★ドリフグッズ多し。神戸顕一の部屋ちょっと覗けます。

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この記事へのコメント

荒馬宗介
2020年04月18日 23:01
はじめて投稿させていただきます。
これまで、数多くの芸能人の方々の訃報を見聞きしてきましたが、久々に泣きました。
知っている人が、どんどんいなくなって、離れてしまって、寂しい限りです。
顔馬
2020年04月22日 01:40
ありがとうございます。ほんと淋しい限りで毎日コントばかり見てます。
志村けんやドリフについては語りつきないですね。