限界集落を語る。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 かつを」ですよ。
ついに限界集落で猟奇殺人が起こってしまった。詳細諸々色々あったことだろうが、殺ったことは大罪だ。
でも、なんかこう言うと不謹慎でしょうが、加害者の気持ちもわからんでもないんですよ。
僕の地元も完全な限界集落でそのうちなくなるでしょうという村です。
村の一体化っていうものはある意味残酷で、人の気持ちを変えてしまうものです。
ごくごく近くにいた人たちも、ちょっとした行き違いでいつの間にか輪から乱れ、孤立し、やがて村八となったり‥それぞれ事情を抱えつつ、村から離れる者もあれば、それでも留まる者もありです。
村の一体化から、消される過去も多々あって、本当は誰もが知ってることが、その土地では口にすることさえタブーとされることなんかざらです。

☆加害者に聞け!
そのざらざらを解禁すべく、おしゃべりな僕は、たまに都会で地元の友達と会ったりすると、あえてタブーに挑戦してみるが、村の一体化には勝てず、「知らんな~」で終わる。でも実際、風化されすぎて、話をふられたそいつも覚えていないのが現実であったりもする。
例を挙げると、僕が物心ついた頃、村でちょっとした殺傷事件があった。記憶が間違ってなければ、刑事事件にはならず(いかんせん警察が遠いので)、双方の話し合いで和解したと思われる。
当然のように事件当初は村中その話で持ち切りだったが、その後、誰一人語ることがなかった。
やがて、集落民の高齢化にともない、誰もが忘れ去ろうとしていたと思われ、覚えていたとしても気を遣い、その出来事自体闇に葬られていたのだと思う。要するに被害者も加害者も和解して土地に共存しているのだ。
僕は数十年経った今でも、もし会うことがあれば両者に聞けると思うし、両者ともに笑って話してくれると信じているが、やっぱり本人たちを目の前にするとあたしってダメね。村の目がそうさせるのね。
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☆被害者に聞け!
あくまでも地元の集落の話にしぼっているが、差別的な話は最近も、勿論進行形で当たり前のように存在している。
例えば、これも仕方のない話ではあるが、引っ越して来たよそ者が、村の顔的な存在‥いうならば、集落の和田アキ子みたいなのに挨拶がなかったら相当厄介だ。
最近は携帯があるからどこにいても通話は出来るものの、うちの地元じゃ僕なんかも苦労したのだが、機種によっては電波が通じず、ちょっと車で出て三本立つ所まで移動しなければ話が出来ない。
二年前だったか、帰省した際、夜散歩してたら、海岸の方で携帯で何か話してるおばさんがいて、通りがかりに聞こえて来た内容が「私は悪いことしてないのに、私のせいにされて悲しい‥」と、まさに今回の「つけびして‥」事件と似たような話。近所の人にそのおばさんの正体を聞けば、なんでも数年前から住んでいるらしく、ほとんどうちとけないんだそうな。しかも僕が夜散歩する度におばさん愚痴ってて、内容が集落民の悪口ばっかりで、ターゲットとなる人物の中には僕んとこの親戚筋もおるでやんの。
しまいには、僕が直接そのおばさんに「こんなこと言うとあれかもしれませんが、この地に住むと決めたのなら、もうちょっと集落の人とうちとけてあげたらどないですか?」と、おせっかいにもアドバイスしてやった。そしたらものすごーい勢いで「あんたになにがわかるんよ!このバカ!」と言い返されてしまった。そりゃそうだ。
その後おばはん、僕がおばはんの敵の親戚だとわかると、「あんたんとこの親戚はひどい!ひどすぎる!」と、さいたま銘菓 十万石饅頭の如く猛攻撃してきよったので、僕も腹が立って「なんやねん、わしゃ親戚やからこそ素通りできんかったんじゃ。さっきからおどれの言い分が勝手すぎるから忠告しとんやろがー!」と逆ギレしたがな。そしたら、そのブチキレ声を聞いた別の人が仲裁に入ってきて「ここは私に任せてあんたは向こうへ行っとけ」と言うので、僕はその場を離れたが、数十分後、仲裁に入った人、カンッカンに怒って「あれは何を言うても聞かんわ」と半泣きで去って行った。

結局、このおばはん、入って来た人間が溶け込まない限り共存は無理という簡単そうで難しいけどよくある人間関係に直面したわけだが、それを拒否したため毎晩愚痴ることになったようだ。
別の人(男)に「あのおばはん何なの?」と聞いたら、「あいつ殺したりたい」と言うてたからおばはんも相当な奴だったのだろう。今は別の村に移ったらしい。
今回の殺人事件もそういうしがらみがつもりつもって爆発したような感じだが、他人事とは思えないので、ついついじっくりニュースを見てしまった。
限界集落はこれからもっと増えていくだろう。
地元へバスで帰る途中、荷物を背負ったバリバリのばあやんが乗って来て、やがてほとんど家のない山の中のバス停で下車する時、僕はその背中に密かにエールを送っている。
人間が土地から離れたり、自然死していくのは成り行き上仕方のない話だが、殺人や放火など、法に背いた悲惨な出来事がないように心から祈るばかりです。

一方、僕が漫画で描くごちゃごちゃした村の風景は、地元の集落を描いたと思われることがあるが、必ずしもそうではなく、地元はもっと何もなく殺風景なので、どちらかというと理想郷を描いていることが多い。
※上の写真も別の村です。↓は藤本画伯。

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